2010年5月10日月曜日

市民目線

裁判員制度の導入も「市民目線」「市民感覚」に近づいた理由の一つと言えると思います。
そこに、私情は挟んでいないのかな?って疑問に思ってしまうこともありますが、法律家ではない私たちが私情を少なくとも持ちながら事件を見てしまうのは仕方のないことだと思う。
そうしたことも踏まえた上での判決ならば、より、市民に近づいた市民のための答えですよね

◆司法と市民目線/問い直されるバランス感覚(5月10日河北新報社)
政治や行政が絡む訴訟で最近、注目すべき判決が相次いでいる。「画期的」といった受け止めが多く、司法判断が「市民の感覚」に近づいてきているようにみえる。 4月27日に大阪高裁であった滋賀県の行政委員の月額報酬をめぐり、弁護士が県に支出差し止めを求めた住民訴訟の控訴審判決。選挙管理委員長を除く各委員について「裁量の範囲を逸脱して違法」と判断し、県側の控訴を棄却した。 高裁判決は月額制が認められる場合の基準を示した上で勤務実態を検討。月平均2日前後の勤務日数の少なさを重視した。業務の内容を精査、勘案する必要があるにしても、高裁の認定は「市民の常識」に映る。月額制の違法性を認めた高裁初の判断だといい、今後、各地で見直しが進むとみられる。 最大約2.30倍となった昨年8月の衆院選小選挙区は憲法違反だとして選挙無効を訴えた「1票の格差」訴訟の判決。全国8高裁・支部で計9件の訴訟が起こされ、4件が「違憲」、3件が「違憲状態」と断じた。 「投票価値の平等」は国民の重要な権利だ。自分の1票が他人の半分にも満たない状況を、誰だって容易に受け入れられるものではない。最高裁は昨年、2007年の参院選をめぐる格差訴訟で「違憲」の判断こそ避けたものの、相当に踏み込んだ。そうした流れを受けると同時に、政治の変化も無視できないだろう。 従来、公権力が相手の訴訟で、司法はややもすると腰が引けているとの指摘を受けてきた。昨年の政権交代で「永久政権の重し」が取り除かれ、「三権分立」の原則をより貫きやすくなったのかもしれない。 4月に東京地裁であった沖縄返還をめぐる密約文書開示請求訴訟の判決も、密約の存在を認め国に文書開示を命じるなど、原告の全面勝利とした。原告側は「提訴後、政権が交代し国側の出す書面ががらりと変わった」と述べた。選挙結果に示された「民意」が政府の対応を変え、判決を後押しした形だ。 司法は政治におもねってはいけない。もとより、理想に走り過ぎることで、政治や社会の安定感を著しく損ねてもまずい。現実遊離を避けて、慎重な判断に傾くのもある意味、当然だろう。その一方で市民目線とのずれを軽視するならば、司法は確実に信頼を失う。 刑事事件では一般市民が裁判官と一緒に判断する裁判員裁判が昨年5月に導入された。司法改革の要で、検察審査会の権限強化とともに、刑事訴訟に市民の感覚を取り入れるのが大きな狙いだった。市民の目を意識したバランス感覚が必要という点で、行政が対象の訴訟も変わるところはない。