2010年4月16日金曜日

検証でも見えない“真実”

事件を解決していく時、一方からしか見ないなんて事はありえませんよね。
科学的な証拠もそれだけでは証拠として不十分でしょうし、自白、目撃証言等々も単独で判断材料となる事はないはずで・・・
それが、この足利事件様に俯瞰的に見る事をなおざりにするとこういった結果になってしまうんでしょう。

◆【足利事件の教訓】(1)検証でも見えない“真実” なぜ「捜査対象」に 栃木(4月6日 産経新聞)

 足利事件の捜査の在り方をめぐり、1日公表された警察庁と最高検の検証結果。DNA型鑑定結果の過大評価が客観的事実の裏付けを怠り、虚偽の自白を生んだと結論づける。それは菅家利和さん(63)の求めてきた“真実”への答えなのだろうか。

 目撃情報、自転車の指紋、犯行後の足取り、現場の記憶…。多くの客観的事実が菅家さんの自白とは異なっていたが、十分な裏付け捜査はされなかった。報告書は、DNA型鑑定を過信した捜査員らが「時間の経過」「記憶の劣化」を理由に「供述と合致しなくても不自然ではない」と判断したと指摘する。

 たとえ、捜査員が「菅家さんが犯人」と過信していたとしても、事実をねじ曲げることで、誰でも冤罪(えんざい)を背負わされかねないという恐ろしさが浮かび上がる。

 一橋大法科大学院の村岡啓一教授(刑事法)は「菅家さんの虚偽の自白も、一度“クロ”の心証を持った捜査員には何を言っても無駄と心底理解したから。これは虚偽の自白が原因の冤罪すべてに共通している」と指摘する。

                   ◇

 〈保育園の送迎バス運転手として稼働し、平日は実家で生活しているが、週末のみ両親と離れて借家で過ごしている独身の男性を把握した〉

 報告書によると、菅家さんが捜査線上に浮かんだのは事件から約半年後、駐在所員の報告からだった。アリバイが判然としないという理由で、捜査本部は約1年間、行動確認を続ける。

 報告書では、その結果、小児性愛をうかがわせる行動は認められなかったとしている。しかし、なぜ1年間も行動確認を続けたのかについては、何の言及もない。

 DNA型鑑定の結果が出るのは行動確認を始めて、ほぼ1年たったころだ。「DNA型鑑定への過信」は、菅家さんへの犯人視を強めるものだったが、捜査の“ターゲット”になった説明にはなっていない。

 村岡教授は、こうした検証結果について「冤罪を生み出す根本の原因である捜査や取り調べが持つ構造的な危険に向き合わず、回避している」と厳しく批判する。

                   ◇

 また、報告書は、捜査員らがDNA型鑑定の精度を十分理解、検討していなかったとする。しかし「なぜ導入されたのか」「それを疑える土壌はあったのか」など検証が不十分な部分も多い。当時の捜査員の「過大評価」だけで片付く問題なのだろうか。

 当時の捜査幹部の1人はつぶやく。「鑑定したのは科警研(警察庁科学警察研究所)。われわれもつらいが、上(警察庁)はいつも下に責任を押しつける」

 ジャーナリストの大谷昭宏氏は「反省点と改善点は及び腰になっている。捜査においてマイナスとなる証拠も重視すべきで、警察特有の組織が生んだ障害について言及がなかったのは残念」と指摘する。